ボケボラ・火の記憶    加村 政子

 花がほころびはじめた桜の枝をすかして、特別養護老人ホーム「昭和園」の硝子窓が光っている。 傾きかけた太陽が、新館と旧館をつなぐ広い渡り廊下の窓に射しこみ、老人たちが眩しそうに額に手をかざしながら外を見ていた。
 毎週水曜日の午後にやってくるボランティアの女たちが、バス通りから川沿いの道を登ってくるのを待っているのだ。床面から総硝子になっている窓の手摺りに、四、五人の老婆が寄り重なっている。老婆の群を押しのけるように、車椅子の松山さんが、片足をふり回しているのが見えた。菊子は立ち止まって、手を振りながら二階の窓に笑顔を投げる。松山さんの右目が、皺でたるんだ瞼の下でキロッと光った。悪い光りかたではない。
 ボランティアを受け入れるまでには至っていないものの、初めのころほどの敵意はなくなっている。毎週あきもせずにやってくるボランティアの訪問を、ニタニタ笑いながら観察するそぶりさえみせはじめているようだ。
お、今日も来たな、というふうに、窓から菊子たちを眺めるだけであるが。
 同じバスに乗り合わせた菊子と文子は、昭和園の玄関の前に立ち、壁に取りつけられたボタンを押した。事務室からすぐに職員がやってきてロックをはずし、開いたドアから二人が入るとまたロックをする。
「こんにちは、お世話になります」
「こんにちは、今日はちょっと寒いけど、いいお天気だから、散歩に出るのをみんな楽しみにしているんですよ、お買物に行きたい人も何人かいますので、よろしくお願いします」
 一階のホールに置かれているソファーには、大きな篭に毛糸の肩掛けや膝掛けが山積みにされている。
 昼食後の休み時間は老人たちも部屋に戻り、職員も遅い食事をとりに行っているので、園内は割に静かである。菊子と文子は階段に二ヶ所取り付けられている鍵付きのドアを開けて、二階へ上っていった。玄関ホールの真上にあたる二階のホールは、広い遊戯室になっていて、中央に大型テレビが置かれている。壁に添った長椅子には、五、六人の老人が座っていた。車椅子の人が二人、ぼーっとした目でテレビを見ている。
「こんにちは」「こんにちは」
 何人かの声は聞こえるが、ほとんどの人は顔の表情が少し動くだけである。それでも、園外からやってくるボランティアの女たちを、歓迎しているようすは見てとれた。陽のあたるテラスに面したホールでは、泉田さんがか細い声で歌いながら手踊りをしていた。片足ずつチョンと前にふり出し、手の平を返しながら小首をかしげて、品を作りながら踊っている。とろけるような笑顔で陶然と踊る姿は、童女のようだ。
 傍らでニヤニヤ笑っている老女もいれば、居眠りをしている人もいる。長テーブルの前では、河田さんと下田さんがおしぼりを畳んでいた。この二人は身寄りがなく、昭和園を終の棲家として入園しているらしかった。部屋のベッドの脇に畳を一枚敷いて小さな整理ダンスを置き、その上に夫の写真と位牌を飾ってある。ベッドの下の箱二つとロッカーの中の荷物が全財産で、昭和園で死に水をとってもらうのが最後の望みだといっていた。
 死後は大学病院に献体の登録をしているという。
 生きているうちに、できることは何でもやろうという気概で、おむつ畳みやおしぼり畳みなど、細かい仕事を黙々とやっているのだ。
「河田さんはお元気でいいですね」
「何が元気なものですか、膝も痛いし腰も痛いし、もう体中がたがたですよ、でもね、呆けてないだけいいと思いますよ。あの人たちのように呆けたら、皆さんに迷惑をかけるだけでしょう」
「家族の方は大変でしょうけど、本人は歌って踊って周りから大事にしてもらって、幸せなんじゃないでしょうか」
「頭が壊れてしまったんだからしょうがないけど、わたしはあんなになってまで生きたくないですね、最後まで正気でいて、皆さんにお礼をいってから死にたいですよ」
「今日はお散歩に行きましょうね、後からまた何人か来ますから」
「お世話をかけてすみませんねぇ、あなたがたが来てくれなかったら、わたしたちは一歩もここから出られないんですから」
 痴呆の老人が多いホームでは、ちょっと目を離したすきに行方不明になる事件が何度もあったらしく、日頃は外出禁止なのである。ボランティアが来る水曜の午後だけ、雨の日以外は外に出て、散歩や買い物に行けるのである。
 新館の廊下を、松山さんが片足で車椅子を前に繰りだしながらやってきた。菊子は駆けよっていって、
「松山さん、こんにちは」と挨拶する。
「あんたらももの好きやのォ、何でこんなくされじいやくさればあの所へ来るんかや、金と暇がありゃもっと面白いことをすりゃいいやないか」
 松山さんは右目を細めて笑いながら、からかう口調でいう。
「お金も暇もないからここに来るんですよ、なにもなくて心が貧しいのに、体だけは健康でしょう、先のことを考えたら、ここで人生の大先輩たちに、いろいろ教えていただきたいと思ってね」
「そうか、それが本当なら感心じゃ、そやけど口は調法じゃからな」
「まあ松山さん、松山さんは勘が鋭いから、人を見抜く力があるでしょう、ちょっと恐いけどこれからもよろしくお願いします」
「おう、あんたらが本もんかどうか、わしがよう見とっちゃる」
 二年前に較べると、松山さんの態度は柔らかくなった。不信感を露わにして突っかかっていた松山さんが、いつ頃から変わっていったのか、はっきりとは覚えていない。だが、頑なだった心の扉を、開こうとしている兆しは感じられた。
 菊子が所属する高齢者介護ボランティア「ひふみ会」の会員が、初めて昭和園を訪問したのは、二年前の桜の季節だった。会員が布で作った花を五十本持って、ホームの部屋を回り、一人一人に手渡しながら挨拶した。
 入園者は事前に話を聞いていたらしく、菊子たちが声をかけると、ごくろうさまでございます、とか、よろしくお願いします、とか、好奇の目を向けながらも穏やかな態度で迎えてくれた。老人たちは寝巻きではなく、小ぎれいな服を着ている。ベッドに寝ている人は、よほど病状の重い数人で、ほとんどの人はベッドに腰掛けるか車椅子に座っていた。廊下のソファーに座っていたり、ホールでテレビを見ている人は、比較的元気な老人のようである。
 菊子がひふみ会の会員と、二階の奥の部屋に入った時、窓際にいた車椅子の男がふり向いた。
「こんにちは、ひふみ会の者です、よろしくお願いします」
 男は片足で車椅子をくるっと回して、一人一人の顔をねめまわすように見た。
 男は左の目には眼球がなかった。窪んだ眼窩を薄い瞼が被い、上の前歯が四本欠損している。禿げ上がった額ともり上がった眉の下は、皮膚がたるんで皺だらけである。麻痺した左腕は内側に湾曲し、左の足は膝の上で切断されている。男は口角を曲げてエヘエヘエヘ、と笑った後、突然喉をふり絞って怒鳴った。
「お前ら何か、ボランティアとやら金と暇をもてあまして、人をバカにしに来たんか、お前らは人の不幸が面白いんやろうが、帰れ帰れ! 人をジロジロ見るな、出て行け!」
 身の内から噴きあげる怒りを顔中に漲らせ、唾をとばして怒鳴りつけた。何者をも寄せ付けない澱りの固まりを、腹の中に抱えこんでいるようにみえた。
 息を呑んで立ちつくしている所へ、寮母長が割りこんできた。
「松山さん、そんなこといっちゃ駄目じゃないの、ボランティアの人はみんな優しい人ばっかりよ、これからお世話になるんだから、よろしくお願いしますっていわなきゃ」
「ふん、誰がボランティアの世話になんかなるもんか」
 吐き捨てるようにそういうと、男は車椅子を回して背を向けた。それが松山さんだったのである。
 寮母長に促されて部屋を出た菊子は、肌に冷汗が滲んでくるのを感じた。思いもかけない松山さんの言葉だった。だが、立場を変えれば、松山さんの屈辱感はわからないではない。異形の体で施設に入り、他人の世話なしでは生きていけなくなった男の苛立ちは、想像を絶するものがあろう。ボランティアの女たちが揃いの赤いエプロンをつけて部屋に押し入り、いきなり頭の上から話しかけてきたのだ。松山さんはその目の中に、哀れみや蔑みの色を見てとったに違いない。
 施設に入っている老人は、卑屈になって人におもねる傾向があるが、松山さんのような人こそ、正常な感覚の持ち主なのではないだろうか。
 最初にくらった松山さんのパンチは、大きな教訓となって心に響いた。




ひふみ会は昭和園の散歩介助と、ショッピング・バスハイクなどの行事に、介助ボランティアとして参加している。園外に出る行動は、職員の数だけではたりず、家族やボランティアの協力が必要なのである。松山さんはどの行事にも参加しようとはしなかった。
 痴呆の老人も車椅子の人も、ほとんどの人が出かける花見や運動会にも、松山さんは頑なに拒んで外に出ようとはしなかった。だが、全てに無関心だというわけでもないらしいのは、新聞や雑誌を読んで、若い寮母をからかっていることでもわかる。
 若い頃の苦労話や自慢話をする老人が多い中で、松山さんは自分の過去を語ろうとはしなかった。
 寮母長の話では、市内に娘が一人いて、時々衣類や菓子などを持って、面会に来ているという。
 松山さんは、今日も散歩に出る時間になると、自分の部屋に入っていった。
 ひふみ会の会員七人と家族二人が、この日の散歩介助をすることになった。
 二階からエレベーターで車椅子の人と杖歩行の人を下ろし、玄関前のホールに集まる。老人たちが風邪をひかないように、毛糸の肩掛けや帽子をかぶせた。車椅子の人には、膝掛け毛布で腰から下を包み込んだ。
「お買物に行くのは村上さんと佐藤さんと熊谷さんね、じゃ三人は寮母さんが連れていってください。他の人はお散歩に行きますよー。ボランティアさんの側を離れないようにして、お日様と遊んできてくださーい」
 寮母長が大きな声をはり上げ、ドアのロックをはずした。ボランティアは車椅子を押し、若い寮母は杖歩行の人の介助をしながら、ゆっくりと歩いて外に出た。
 散歩といっても、園の周辺をひとめぐりして帰るだけである。園の裏側は少し段差のある田園が広がり、川に沿って農道が山の裾まで伸びている。突き当たりの小高い山裾を穿った向こうに川が流れ、田に水を引くために枝分かれした小川は、清らかな水がたえることがなかった。
 菊子は早川さんの車椅子を押しながら前かがみになり、耳元に口を近づけて話しかける。田起こしする前の田圃に、黄色いタンポポが点々と咲いて輝いていた。
 川の向こう岸に小さな茂みがあり、薮椿の赤い花
をのぞかせている。檜の枝にからまっているアケビの花も咲いていた。
「春ですねえ、もうすぐ桜の花も咲くでしょう。花見が楽しみですね、早川さんは何の花が好きですか」
「わたしは桜の花はきらいです、バッと咲いた時はきれいに見えるけど、あっというまに散ってしまうでしょう、ありゃね、年寄りは早く死んでしまえっていっているみたいで嫌ですよ、派手に咲く花より、私は野草のほうが好きです。ほら、そこにネジバナやカラスのエンドウが咲いているでしょう」
 早川さんは車椅子の低い目の位置から、田の畦に咲く小さな野草をみつけていった。
「あそこにハハコグサが咲いていますよ、こっちの紫の小さな花はイヌフグリ、ナズナだって可愛いもんですよ、昔の人はペンペン草っていって馬鹿にしたけど、わたしが子供の頃は、この草で遊んだりカラスのエンドウで笛を吹いたりしたものです」
「早川さんはよく花の名前を知っていますね」
「わたしは田舎で育ったからね、山や野原が子供の遊び場でしたから」
「そういえば、昭和天皇は雑草という草はないとおっしゃってましたね」
「そうそう、みんな名前があって、それなりに生きているんです」
 八十歳の早川さんは、草花に自分の人生をたとえて、語っているのだと思った。女学校を出て結婚し、まもなく夫が戦死して、女手一つで子供を育てたという彼女は、ホームに入らざるを得なくなった事情を語ろうとはしなかった。だが言葉の端々に、哀しみや諦めの感傷が滲みでている。
 菊子はタンポポとイヌフグリの花を摘み、スミレを根から掘り上げてハンカチに包んだ。
 小川の水が、小さな堰を越えてチロチロチロと水音をたてて流れていた。道の行き止まりは、農作業の道具を置くための地面が開け、数珠玉の草叢があたりを囲んでいる。風のないその日溜りで車椅子の向きをかえ、背を伸ばして今来た道の風景を眺めた。陽にぬくもった微風にさらされて、田も山も息づいているように感じられた。
 遠くに連なる山々を背に、三角のおにぎりを立てたような濃い緑の山が見えた。何かを祀っている霊山として神社が建てられているらしかった。
 菊子は、ふと、子供の頃この景色をみたことがある、と思った。母の実家の庭先から、これと同じ三角の山が眺められた。その山は、村の守り神を祀った神社があると聞いたことがある。
 母は覚えているだろうか。兄嫁の話では、最近母が呆けはじめて困っているといっていた。八十九歳にもなれば仕方がないとは思うものの、兄や兄嫁を手こずらせる呆け老人にだけはなってほしくない。遠くに住んでいるので簡単に行ってやれなかったが、そのかわりに昭和園での様子を電話で話して、励ましているつもりだった。母は長男の兄夫婦と孫も一緒に住んでいるので、自分は幸せな老人だと思っているようだった。しかし、呆けてしまえばいつまで家にいられるかわからない。
 姑は三十年前、精神病院で亡くなっている。その頃はまだ老人性痴呆症という知識がなかったから、夫の兄夫婦は姑が狂ったと思ったようだった。姑にとって末っ子の夫も菊子もまだ若かったから、年老いた親の病状を計り知れなかった。姑は病院に面会に行くたびに衰えを増し、顔の表情を失っていった。本当の所はどういう病気だったのかわからなかったが、姑は入院して一年も経たないうちに死んでしまった。
 姑がおかしなことをいうようになったとか、暴れて障子を打ち破ったとか、夫の兄夫婦がいっていた言葉が思い出された。菊子は無知だった自分を恥じ、姑に詫びるような気持ちで、老人ボランティアの会に入ったのだった。
 人間が老いて死ぬということは、一体どういうことなのだろう。若い頃は想像したこともなかった。
 親が老い、自分も老いが近づいてくると、菊子は自分の意志の及ばない老人特有の異界があるのではないか、と思うようになった。異界に生きる人を知るには、異界の領域に踏みこんで学ぶしかない、と思った。
 菊子がボランティアとして昭和園に通うようになって二年が過ぎた。その間に、食べる、排泄する、入浴するなど、日常生活の全てを他人の手にゆだねて生きざるを得ない人間の魂を支えているのは、人間としての誇りなのではないか、と思うようになった。人間として生きる最後の砦としての自尊心……。脳血管障害からくる痴呆症になっていても、不思議とプライドだけは失っていないらしいのである。ではその自尊心は、どこから発生するのだろう。
 昭和園に入園している老人たちは、全ての面で違う個性を持っている。その一人一人から学ぶものは、一万冊の本を読むより大きなものがあるかもしれないのだ。
 そろそろ帰りましょうか、という誰かの声で、老人たちはボランティアの介助で、園に向かって歩きはじめた。水を落すわずかな段差で広がる田圃の向こうに、横長い二階建ての昭和園が見える。車椅子や杖をついて帰っていく老人たちの白い棲家は、一足ごとに揺れていた。頭上には青空が高く広がっている。ゆらゆらと揺れながら帰っていく老人たちの体が、ふと軽くはかない物体となって、大空に吸いこまれていくような気がした。その時、人間は生きている限り、間違いなく死の方向に向かって歩いているのだ、と菊子は唐突にそう思った。
 おかえりなさーい、といって園から職員が迎えに出てきた。杖歩行の人が、あいた手で職員に縋り、前かがみになって玄関に続く坂道を登っていく。たった三十分か四十分の散歩でも、日射しを浴びて歩くのは疲れるようだ。
 菊子は早川さんの車椅子を押してエレベーターで二階に上り、用意された紅茶のコップを取りにいった。ホールで紅茶を飲んでいる老人たちの中に松山さんがいた。
「松山さん、ただいま、外は気持ちよかったですよ、松山さんも行ったらよかったのに」
 松山さんは、ヘッ、と声に出して笑ったが、怒気のない柔らかな表情をしていた。
 紅茶を飲んだ後、老人たちは自室に帰ってひと休みする。菊子は早川さんをベッドに移し、お疲れさまでした、といった。早川さんはありがとうございました、と涙声でいいながら横になった。
「ああ、寝るより楽はなかりけりですねぇ、このまま眠って死ねたら一番いいんだけど……」
 目を閉じて呟くようにいう早川さんの傍を離れ、菊子はそっと部屋を出た。徘徊癖のある老女が虚ろな顔で廊下を歩き回っている。ホールの長椅子では、人形をしっかり抱いて鼻歌をうたっている人もいた。
 菊子は笑顔をつくりながら松山さんの部屋に入っていった。
「松山さん、これおみやげです、田圃にタンポポがいっぱい咲いていましたよ、この花はイヌフグリっていう名前なんですって。それからこれは昔からある日本スミレ、あんまり可愛いから、根から取ってきました」
 ほう、といって花を見ていた松山さんは、
「こんなもん取ってきて馬鹿やのォ」といった。
「松山さんがお散歩に行かないから、見せてあげたかったんですよ」
「そうか、ふーん、そうかそうか」
 松山さんはニヤニヤ笑いながらなんども頷いた。
「今日はお日様がぽかぽか照って、気持ちよかったですよ、このあたりは街中と違って、山や田圃や小川があっていいですね、わたしの母の実家が田舎でね、子供の頃何度か遊びに行ったことがあるから、何だかなつかしい気がします」
「ほう、そうか、わしの生まれた所はここよりもっと田舎でな、大きな川が流れとった」
「そうですか、松山さんの故郷はどちらですか」
「わしの故郷はどこやろう、あっちこっち行ったからわからんなあ」
「わたしも引き揚げ者だから故郷がないんですよ、生まれ育った満州はなくなってしまったから。子供の頃、死体ゴロゴロの中を命からがら逃げて引き揚げてきました。年寄りを棄てたり子供を殺したりする人もいましたよ」
「ほう、あんたも苦労したんやな」
「それで思ったんですよ、人間優しさがなければ生きられないってね、物や金があっても、何の役にもたたないと思いますよ」
「そうか、わかったぞ、あんたは本もんじゃ、わしゃずーっと見とったけど、やっぱ本もんじゃ」
 松山さんは自分のいったことに照れて、顔を赤らめながら笑っている。頑くなに閉ざしている心の扉が、少し開いたような気がした。初めて逢った日から二年近く経って、ようやく松山さんが認めてくれたのだ。ボランティアをしてきて、誰に喜んでもらうよりも嬉しかった。
「松山さん、わたしは半身麻痺になったこともないし、痴呆になったこともないから、わからないんですよ、ここで実際に教えてもらいたいと思っているので、どこがどんなに痛いとか苦しいとか、何でもいってください。わたしにできることはないでしょうか」
「生意気なことをいうな、人間、そん時にならにゃわからんもんじゃ」
「…………」
 松山さんにいわれた言葉は、ぐさっと胸を突いた。きれいごとをいってしまった自分が恥ずかしかった。松山さんがどんな人かはまだわからなかったが、軟弱な人間はとてもたちうちできるものではない。




 昭和園の花見の日は、予報通りの雨になった。ぎっしりつまった予定を変えるわけにはいかないから、園内花見をするという。ひふみ会からも介助ボランティアで来てほしいという要請で、五人が参加することになった。会が発足した頃は三十数名いた会員が、今では二十名にもたりないぐらいに少なくなった。
 昭和園に入っているボランティアは、お茶やお花やカラオケなど、入園者を指導するグループと、歌や踊り、大正琴などを披露して慰問するグループがある。指導型ボランティアは、習おうとする老人がいなくなって自然になくなり、最近では慰問型ボランティアが多くなった。
 下手な芸を見せても喜んでくれると思っているようなグループの会員は、入園者と直接ふれあう介助には、参加しようとしない。ボランティアといっても、意識の違いは、目標の高さにあるようだった。勘が鋭い松山さんが、ボランティアを拒絶し、行事に出ようとしない気持ちが、わかるような気がした。
 老人たちは広い食堂に集められ、三、四人ずつ座るテーブルに職員かボランティアが一人介助に座る。
 低い舞台の背景に、春の花と蝶が飛ぶ絵が描かれ、両袖に紙で作った桜の花が満開に咲いていた。
 テーブルには折詰弁当とジュースやみかんが並び、希望者にはビールやワンカップの酒もくばられた。
 前方には理事長ほか、市会議員や地域の役員が顔をそろえている。
 理事長の挨拶が始まった。神妙に聞く人は少なく、椅子をがたつかせて立ったりトイレに行ったりして騒がしい。
 菊子は入り口に近いテーブルに座った。義肢をつけた沼田さん、片麻痺の納富さんと赤沢さんの三人は、介助なしでも自分で食事ができる。
菊子は立ち上がって松山さんの姿を目で捜した。やはり今日も松山さんの姿はなかった。寮母長に「松山さんは?」と聞くと「いくらいってもきかないんですよ」という。
「毎日の食事は食堂にきて食べるのに、こういうお偉方がくると臍が曲がるらしいんですよ、後からお弁当を持っていくからいいです、心配しないで」
 と小声でいった。園長の挨拶になると、もう待ちきれないように私語が始まる。ユーモアたっぷりで笑わせながら話す園長は、慈愛に満ちた表情をしていた。
「浅井さん、ちょっときて」
 寮母長が近づいてきていった。
「今思いついたんですけどね、松山さんは浅井さんのこと気に入ってるみたいだから、誘ってみてくださいませんか、わたしも一緒に行きますから」
 寮母長も何とか松山さんをみんなの輪の中に入れて、楽しんでもらいたいと思っているようだ。菊子は寮母長と一緒に二階に上り、松山さんの部屋に入っていった。
 松山さんは背を向けて窓の外を見ていた。
「松山さん、こんにちは、今日はわたしもお花見にきました。一緒に食堂に行きましょうよ」
「わしゃ行かん、偉そうな奴らが大きな顔して挨拶するんやろうが」
 寮母長はいきなり車椅子の後ろに回り、
「なんちゃない、いこいこ」といった。
「もうお偉いさんの挨拶は終ったよ、終ってもうみんな酒飲んで騒いでるから、気にせんでいいよ、今日は浅井さんも来てくれたんだから、お酌してもらってお酒をお飲み」
 松山さんはそれ以上拒みもせずに、ニヤニヤ笑いながら車椅子を押されて食堂へ向った。松山さんの席が、寮母長の指示で入り口横の、奥に向けられた位置に作られた。その位置からは全体を眺められても、招待席は見えない。隣のテーブルに座っていた菊子は、椅子を反対に回して松山さんと向きあった。
 老人たちはもう折詰弁当を開いて食べている。
 花見のような行事の時には、子供や孫たちがきて、一緒に食事をする人も何人かいた。菊子はワンカップを開けて松山さんに渡し、弁当を開いてやる。前歯がない口で吸いこむように酒を飲んだ松山さんは、濡れた唇を舌でなめ、菊子の顔を見てニッと笑った。左の眼窩の底に張りついている瞼は動かない。右目を細め、口を歪めて笑う奇妙な顔も、見馴れてしまえば松山さんらしい個性的な顔だと思えるようになった。
 菊子も弁当を食べながら話しかける。
「花の下じゃなくても花見っていいですね、お酒が飲めるから。今日はわたしを家族だって思ってください」
「おっ、家族っちゅうたら女房かの、娘かの」
 松山さんはアハアハアハと笑いながら、口をすぼめてコップの酒をすする。
「お酒は好きなんですか」
「ああ、若い頃は浴びるほど飲んだもんよ、わしゃ大酒飲んで、この体になったんじゃ」
 右麻痺の人は言語障害が残る人が多いといわれるが、左麻痺の松山さんは痴呆もなく、話ができるだけでもよかったと思わなければならないだろう。くつろいだ表情で弁当の蕗や竹の子をくちゃくちゃ音をたてて食べ、うん、うまい、といいながら酒を飲む。
「わしゃこまい頃、田舎で育ったから、竹の子や茸を取ってきてよう食べた。山にゃ食べもんがいっぱいあるんぞ、蕗、わらび、ぜんまい、うど、それに果物もな、柿や栗だけやないぞ、ざくろ、あけび、ぐみ、野苺ってな、あんた、けんぽなしって知っとるか?」
「けんぽなし? 梨の一種ですか?」
「バーカ、若いもんは知らんやろうなあ」
 酒が心を解きほぐしているのか、松山さんが今日ほど楽しそうに話すのを見たことがない。
 老人がいい思い出を語る時、実に柔らかないい表情になる。反対に辛くて苦しかった思い出を話す時は、険しい表情になるようだ。愚痴や不平不満は、話して発散できるものではないらしく、いつまでも同じ話をくり返して周囲を辟易させるが……。
 松山さんは、自分の生いたちや過去を一度も話したことがない。心を堅く閉ざして周りの人たちと馴染もうとしないのは、余程語りたくない何かわけがあるような気がした。
 五、六歳ぐらいの幼女がそっと近づいてきて、不思議そうに松山さんの顔を見上げた。
「何かや? じいちゃんの顔こわいやろう」
 松山さんが声をかけると、幼女は恥ずかしそうに笑った。家族にどこかが壊れた老人がいると、子供は優しい子に育つようだ。近くの中学からボランティアの学生もきている。大人並の体格で私服を着ていても、初々しい顔はまだあどけない。
 松山さんは「若い女の子はいいのお」といった。
「ほんと、子供は可愛いですね。子供を見ていると、大きくならなきゃいいと思いますね」
「そうじゃ、大きゅうなったらろくな奴にならん」
「大きゅうなって、立派になった女の人たちの演芸が、後であるそうですよ」
「ケッ! ばあさんの下手な踊りなんか、見とうないわ」
 急に不機嫌になった松山さんは、窓の外を見ていった。
「わしが生まれ育った村に、あれと似た三角の形をした権現山という山があった。あの山を見ると、昔を思い出すんじゃ」
 それは散歩の帰り道から見える山だった。その山は東のバス通りからは背後になるが、昭和園の窓からは、正面の右手に眺められた。標高百メートルあるかないかの低い山で、おにぎりを立てたような形をしている。
「そうですか、子供の頃その山で山菜や果物を取って遊んだんですね」
 松山さんは山より遠くに視線を放ち、うっとりとした表情で思い出をたぐっているようだ。
「近所に美しいおねえさんがおってな、よう遊んでもろたもんよ」
「まあ、初恋の人は年上だったんですか」
「うん、優しい人やった。大きな家のお嬢さんでな、そりゃあきれいやったで」
「そのお嬢さんは、今どうしているでしょうね、もうすっかりおばあさんになっているでしょうけど」
「そやな、人間生きとりゃ色々あるからな」
 寮母長が傍に寄ってきて、
「今日はご機嫌じゃないの、よかったね、浅井さんが来てくれて」といった。
「今から演芸が始まるから、テーブルを片付けますよ、浅井さん、松山さんを後ろの方へ連れていってください」
 がたがたとテーブルや椅子を並べかえはじめると、松山さんが「わしゃ帰るぞ」といった。
「せっかくだから見ましょうよ、花見に歌や踊りはつきものですよ」
 菊子がいくらすすめても、松山さんは帰る、といいはる。仕方なく松山さんの車椅子を押して食堂を出た。
エレベーターで二階へ上り、新館との渡り廊下で車椅子を止めた。窓に届くほど伸びた桜の枝に、満開の花が咲いていた。雨に濡れた花びらが、重みにたえて細かく震えている。風が枝を揺するたびに、花びらがひらひらと舞いながら散っていった。
「きれいですね、ここから二人でお花見をしましょう」
 菊子は椅子を持ってきて、松山さんと並んで座った。松山さんは少し照れた顔で、「旦那じゃのおて悪いのォ」といった。
「旦那はいません、五年前に亡くなりました」
「そうか、独身か、わしと同じやの」
 ふっと会話がとぎれ、窓から雨に濡れそぼっている桜に目を遣って放心する。家族を自慢するような話題は禁じられているが、不幸な話も老人を慰めるものではない。当たらずさわらず、何気ない会話の中から相手の心を察して、つきあっていかなければならないとも教えられている。菊子は食堂で楽しそうに話した話題に戻ろうと、
「松山さん、さっきの初恋の人の話を聞かせてください、その人の名前は?」といった。
「いやあ、もう昔のことは忘れてしもうた」
「昔のことでも楽しい思い出は忘れないんじゃないですか、子供の頃よく遊んだっていう山の話をしてたでしょう、その山って権現山っていうんですか」
「おう、権現っていうのはな、菩薩が衆生を救うために姿をかえて神になったんじゃ、その神を祀った神社が山にあってな、神楽を舞うんよ、こまい時は怖ろしかった」
「そうですか、母の実家から見えた山も、確か三角山とか権現山とか、いっていたような気がするんですよ」
「権現山という名の山は、日本中何ぼでもある。昔の人間は助けてください、救ってくださいって祈ったんやろうなあ、あんたのおかあさんの実家ちゅうのはどこな?」
「大分県のA市です。昔はA村っていっていたそうです。でも今はもう親戚のつきあいもないし、母も何十年って行ったことがないから」
「ほう……」
 松山さんは急に黙りこんで、じっと菊子の顔を見た。笑ったようにも怒ったようにも見える表情で、まじまじと菊子を見つめ、ウグーと喉を絞って長い溜息をついた。
 あ、おしっこですか、トイレに行きましょうか、と立ち上った菊子は、車椅子の後ろに回った。松山さんは、
「おしっこぐらい自分で行ける」といって片足で床を蹴った。手を掛けようとすると、いいっちゃ、といって拒む。
 そっと後をついていって、松山さんを廊下で待った。だが松山さんは、いつ迄待っても出てこなかった。
 エレベーターの扉が開いて、ゾロゾロと杖をついた老人たちが出てきた。花見が終って満足そうな顔をしている。車椅子の人も職員やボランティアに介助されて上ってきた。寮母長がトイレの前に立っている菊子に、
「松山さんは?」と聞いた。
「トイレに行って、まだ出てこないんですよ」
「そう、うんちでしょう、あの人長いからもういいですよ、今日はどうもありがとうございました」
 老人たちを部屋に連れていった後、ひふみ会の会員は、休憩室に集まって話しあいをする。その日に関わった入園者の様子や反省など、細かな情報を交換して記録するのである。松山さんが花見の席に出て楽しそうに会話してくれたのは、みんなの喜びであった。時には怖れたり、自信を失くしたりしながらも、続けてきてよかった、と思った。松山さんの残された命の時間は、あまり長いものではないだろう。せめて死ぬ前の数年だけでも、心穏やかに楽しく過ごしてもらいたい。異形の顔と体で生きざるを得ない男の荒んだ心を、少しでも癒してあげたい、と思った。だが、その気持ちがいかに安っぽい思い上りだったかということは、後で思い知らされる結果になったのである。





 次の週の水曜日、松山さんは風邪をひいたといって、ベッドに寝ていた。松山さん、と声をかけても返事もしない。二週目も三週目も、ベッドで布団をかぶって寝ていた。二ヶ月過ぎても松山さんは部屋から出ようとしなかった。散歩で時間をとられる菊子は、松山さんの変化に気づかないでいた。
 ある日、廊下を通りかかった看護婦に、松山さんはどうしたんですか、と聞いてみた。
「どうもこのごろ呆けてきたみたいなんですよ、急に食欲がおちて痩せてしまってね」
「呆けたって、どういうふうにおかしいんですか」
「あんなに頭がはっきりしていたのに、時々自分がわからなくなるらしいんですよ、自分の名前も年も忘れたみたい、年だからしようがないけどね」
 痴呆は徐々に進行するものだと思っていたが、急に呆けるということもあるのだろうか。
「それでも優しくしてあげたら、呆けも治る場合があるっていいますから、よろしくお願いします」
 看護婦のいう呆けとは、松山さんの場合、どう変わったというのだろう、と思いながら、菊子は松山さんの部屋へ入っていった。
「松山さん、こんにちは、いかがですか、お具合は」
「………」
「早く元気になってください、元気になって一緒にお散歩に行きましょう」
 もぞもぞと布団から顔を出した松山さんは、白濁した目でぼーっと菊子の顔を見た。唇が動いて何か言おうとしている。えっ、といって顔を近づけると、
「ユウコハンカ」としゃがれ声でいった。松山さんは、ユウコさんと勘違いしている。と思った菊子は、
「そう、ユウコですよ」といって微笑みかけた。
 突然、布団の上で松山さんの体が撥ね上った。
「ウオー、グオーッ」
 と大声で叫びながら、手足をばたつかせて暴れ回る。
 驚ろいた菊子は、廊下に出て、
「誰か来てー、看護婦さんを呼んできてくださーい」
 といった。若い寮母が二人走って部屋に飛びこんでくる。ドスッと鈍い音がした。松山さんはベッドから落ちて、仰向けに転がっていた。
「松山さん、どうしたんね、大丈夫? どっか痛い?」
 寮母に抱きかかえられて上体を起した松山さんは、うっうっ、と呻き声をあげた。看護婦が駆けつけてきて、床の上で骨折がないかどうかを調べ、頬を軽くたたいていった。
「松山さん。どうしたの? 悪い夢でも見たの、ここは昭和園よ、わかる?」
 顔をあげて看護婦の目を見ていた松山さんは、夢やったか、と呟いた。寮母が笑いながら、
「もう、びっくりするやないの、昼間っから夢なんか見らんでよ」といった。
 菊子は足が竦んで近づけなかった。ユウコと名乗ったのが引き金になったのは間違いない。松山さんがユウコという人を恐れているのは確かなようだ。
 ふと、母の名前が優子だというのに気がついた。
 もしかしたら……と考えてみても、松山さんが口走ったユウコが、母であるわけがない。そんな偶然が、こんな身近な所でおこる筈がない。
 いくら否定してみても、菊子の頭に浮かぶ疑惑は晴れなかった。
 それからの菊子は、松山さんを見かけても、声をかけられなかった。ひふみ会の友人も、毒気が抜かれたようにぼーっとしている松山さんは、張り合いがないという。
 だが、もし呆けが苦しみからの逃避なら、それも一つの救いなのかもしれないと思った。松山さんの枕元のパイプに、松山幹太、八十四歳、と書かれた札が下っている。昔母が話していたイワヤのカンタが、絶対に松山さんではないとはいいきれない。かといって、そうだともいえないではないか。
 菊子は兄の家に電話して、母の様子を聞いてみた。母も呆けはじめたと聞いていたからである。
「お母さんの呆けって、どの程度なの」
「もの忘れはひどいし失禁するようになったしね、親父が死んだのも忘れて注意すると、ああ、わたしは呆けてしまったって笑ってるよ」
「それは困ったわね、でもそれって、まだ正気な時があるから、まだらぼけの時期よ、進行しないように、ちゃんと薬を飲ませないとね」
 おかあさーん、と兄が母を呼んでいる声がした。
「もしもし、菊ちゃんね、元気でやってるの」
 声だけは若いが、ゆっくりしたものいいに、ろれつが回りにくくなっているのがわかる。
「あ、おかあさん、元気そうね、元気でももう年なんだから、転ばないように気をつけてよ、骨折でもしたら寝たきりになるんだから」
「あんた、人の心配より自分のことを考えんと、あんたももう還暦を過ぎたんだからね」「はいはい、あのね、おかあさん、ちょっと聞くけど、松山幹太っていう人知らない? 昭和園に入っている人で八十四歳の男の人」
「マツヤマカンタ? 知らないねえ」
 ふっと会話がとぎれた後、母は、
「イワヤのカンタなら忘れもしないけどね」
 といった。菊子の疑いは、やはり間違いだったのだ。菊子は妙に安心して受話器を置いた。
 母が忘れもしないというイワヤのカンタは、母の生家に火をつけた少年の名前である。その話は菊子が子供の頃、母から何度も聞かされた。
 母が女学生の時、家の普請をしている最中に火事になった話である。庭で大工が木材を削っていた。シュルシュルシュルと音をたててまるまりながら落ちていくカンナ屑を、カンタとショウジの兄弟が興味深そうにじっと見ていた。母の弟と同じ年のカンタは、弟のショウジを連れてよく遊びに来ていた。五歳年上の母は、姉のようにカンタ兄弟を可愛がっていたようだ。大工の手元から、シュルシュルと繰り出される長い木屑を拾って、二人は放り上げたり体に巻きつけたりして遊んでいた。
 縁側でそれを見ていた母は、
「こらっ、カンタ、カンナ屑は燃えやすいから、火をつけるんじゃないよ」といったという。
 火をつけるなといったから火をつけた、と母は何十年たってもカンタを怨んでいた。
 燃え広がる家の中から、母は箪笥をかついで持ち出したという。後から聞けば、着物が入った中の引き出しは、先に抜いて外へ放り出していたのだ。
 火事場の馬鹿力というのは本当だと、母はその話をするたびにいっていた。
 貧乏な小作人だったカンタの親は、それからまもなく村を出ていってしまった。
 昔は相手に弁償する能力がなければ、焼かれ損で諦めるしかなかった。火をつけたのが九歳か十歳の子供なら、その親はいたたまれずに夜逃げするしかなかったのだろう。
 その夜遅く、そろそろ寝ようと布団を敷いている時に電話が鳴った。母だった。
「さっき聞いた何たらカンタの話ね、よーく考えてみたけど、やっぱりイワヤのカンタに間違いないような気がしてね、だってカンタっていう名前はめったにいないでしょう、名字は養子にいけば簡単に変えられるからね、わたしはそっちに行って逢ってみたいよ」
「そっちって、松山さんは老人ホームにいるのよ、人違いにきまってるわよ」
「ひと目逢ったらすぐわかると思うよ、逢ってあれからどう生きてきたのか、聞いてみたいよ」
「何をいってるの、もし本当にイワヤのカンタさんだとしても、大昔のことじゃないの、今更何をいっても無駄よ、もうその話は忘れたほうがいいわ、はい、おやすみなさい」
 時計の針は十時を回っている。母は自分で電話をかけてきたのだろうか。八十九歳の母は見た目は元気だが、自分から行動する意欲がなくなっている。
 新聞を読んで政治や社会の問題にも関心を持っていた母が、いつのまにか全てに無関心になった。何をするでもなく、一日中ぼーと座っている。その頃からもの忘れがひどくなり、電話もかけられなくなった。
 菊子の電話で母はカンタを思い出し、自分で電話をかけようと思った。もしそうであれば、母の痴呆は快方に向かうかもしれないと思った。何もせず何も考えないでいると、脳はもう必要ないもののように萎縮するようだ。
 夫や子供も忘れ、自分の年齢も忘れているのに、幼児に還って父や母の名を呼ぶ人がいる。昭和園に入園していた九十八歳の老女は、一、二年のうちに女学生から幼児になり、最後は乳児になって指をチューチュー吸っていた。人間の一生をまるまる一周して終わったその人は、最高に幸せな死にかたができたのだと思った。
 人間が生まれて成長するまでに、多くの人の援助があったと同じように、死んでいく人間にもさまざまな援助がなければ幸せな死にかたはできない。いつか必ずやってくる自分の死のためにも、終末期に入った老人のための援助をしたいと思った菊子だった。






 松山さんはすっかり呆けてしまった。人を警戒して馴染もうとしなかった人が、職員のいうままに身をまかせてぼーっとしている。昭和園では病気でない限りベッドから起こす方針だったから、松山さんも車椅子でホールに連れてこられる。我儘で頑固な松山さんの意思を尊重して、寝たきりを許していた間に、手足の機能も衰え、自分で車椅子を動かせなくなった。
 菊子が「松山さん、こんにちは」と声をかけても、表情は動かない。寮母が、ハイ、コンニチハっていわなきゃ、というと、コンニチハ、という。
「松山さん、元気になってよかったですね、今日はお散歩に行きましょうか、ね、わたしと一緒に行きましょう」
 菊子が松山さんの手を握って話しかけると、急に顔をくしゃくしゃに歪めて泣きだした。オウオウ、ウオウ、窪んだ眼窩に張りついた瞼の下からも涙が流れ、つぶった右目からも涙が湧いて出てくる。
 感情失禁といわれるものらしかった。
 菊子は松山さんの車椅子を押して、初めての散歩に出た。農道の周りの田圃は稲が青々と波打ち、太陽の強い日射しを柔らげている。ほうら、つばめが飛んでいますよ、と指さしても反応はない。川の上にさしかかっている柿の青い実を引き寄せ、これ何だかわかりますか? といった時、松山さんは嬉しそうに、カキ、といった。
 松山さんの記憶は、どこでどう千切れてしまったのだろう。それとなく寮母長に聞いた話では、松山さんは昔建築関係の仕事をしていたという。娘が住んでいる北九州の施設に入れたのはよかったのだが、その娘ともうまくいっていないようだ。母親と娘を捨てて出ていった父親を、優しく受け入れる気になれないのは当然のような気がした。
 菊子はどうしても気になっていた松山さんの本籍地を聞いた時、寮母長は事務所に行って確かめてくれた。それはA市ではなく、大阪になっていた。夜逃げした村にそのまま籍をおいておく筈もないと思いながらも、菊子は何故かほっと安心した。
 権現山という山と幹太という名前、ユウコという名を聞いて錯乱した事など、疑わしい偶然が重なってはいるが、まさかこんな所で岩屋幹太に逢うわけがない。目の前の松山さんが、母の生家に火をつけた犯人だと思いたくなかった。
「ねえ松山さん、あの山の向こうに何があると思いますか」
 松山さんは、ん? と考えるふうに首をかしげて、
「おっかさんかな、ようわからんなあ」といった。
「そうですか、おっかさんねえ、おっかさんは松山さんに何ていうんですか」
「うーん、コ、コリャカンタっておこるアハアハアハ」
 山の彼方の空遠く、幸い住むと人のいう、という言葉を思い浮かべながら聞いた質問に、松山さんは母親と答えた。松山さんは母親に愛されて育ったのだ。そう思っただけで菊子の心はなごんだ。人生の九十九パーセントが不幸でも、一パーセントが幸福であれば生きていられるのだ。頑固で人嫌いで、人からも嫌われていた松山さんは、穏やかな呆けかたでよかったと思った。
 田の畦に咲く野菊やセンニチコウの花を摘んで持たせても、松山さんは興味を示さない。菊子は山裾に群生しているカンナの花を取ってきた。
「ほら松山さん、きれいでしょう」といって手渡すと、「きれい……」といって笑った。松山さんは、赤いカンナの花が気にいったようでしげしげと眺めている。
 腰をくの字に曲げて杖をつきながら近づいてきた河田さんが、
「松山さんもとうとう呆けてしまって、可哀相にね」といった。
「あんたね、園には花は持って帰られんのよ。喘息の人もおるんやからね、後で捨てなさいよ」
 河田さんは身寄りがないだけに、老いの始末もしっかりしている老女である。大学病院に献体している聖医会の会報に、毎回随筆や俳句を発表し、昭和園でも入園者代表で挨拶をする。誰もが河田さんのような老人になりたいと思っても、なれるものではない。
「じゃ園に帰るまで持っていましょう、後でわたしにくださいね」
 松山さんはニコニコ笑いながら、菊子に花を渡そうとする。くださいね、という所だけはわかったようだ。
 優しい呆けは人の気持ちを優しくしてくれる。
 もし松山さんが岩屋幹太だとしても、許せるような気がした。
 母が菊子の家へ連れていってくれというので困っているという兄から、電話があった。
「この頃妙にシャンとして、庭の草むしりなんかするようになってね、菊子の家に行きたいもんだから、元気な所をみせたいんだろう」
「駄目よ、うちに来たら松山さんに逢いたいっていうにきまってるわ、逢ってもし松山さんを岩屋幹太だって問い詰めたらどうするの、人違いかもしれないのよ」
「おふくろはこの頃頭もはっきりしているから、確かめたいんだろう、何たって可愛がっていた近所の子供に、放火されたんだからね、俺だって顔を見てみたいよ」
「だから違うっていったでしょう、松山さんは今完全に呆けて、何もわからないのよ」
「だったらいいじゃないか、おふくろだってもう長くないんだし、気の済むようにさせてやったら。遠くから見るだけでもいいと思うよ」
 兄は面白がっている、と思った。怨んだ相手と対面させて、修羅場を見たいとでも思っているのだろうか。それだけはさせてはならないと思った。
「今度わたしがそっちに行くから、おかあさんにいっといてよ、来ちゃ駄目だって」
 菊子は母と話をする前に電話を切った。いったん思いこんだら、なかなか諦めない性格の母である。優しいが頑固な所がある母は、兄嫁とも一線を引いて程よいつきあいをしてきたから、嫁姑のどろついた争いはなかった。兄もどちらかというと優しい孝行息子である。
 母に懇願されてその気になったのか、或いは恐いものみたさの興味ででもあったのか、兄は本当に母を連れてきてしまった。ひと晩泊れば断られるとでも思ったらしく、兄は早朝にH市を発って、昼前には菊子の家に着いた。水曜日の午後が散歩介助のボランティアに行く日と知ってやってきたのだ。二度目の定年を過ぎて、兄も退屈しているのだろう。
「突然くるなんて、びっくりするじゃないの、わたし、今日昭和園に行くの辞めるわ」
 菊子は怖ろしかった。母が松山さんに逢って何をいいだすかわからない。もし松山さんが岩屋幹太だったら、母の顔を見て本当に狂ってしまうかもしれない。
「菊ちゃん、絶対に迷惑をかけないから、わたしを連れて行ってよ、そっと見るだけでいいんだから」
 哀願するようにいう母の顔には、激しい気の高ぶりもみえなかった。母は何故これほどまで執着するのだろう。
「半呆けだったおふくろが、カンタのことを聞いて急に生き生きしてきたみたいだよ、別に名乗るつもりはないから、逢わせてやろうよ」
「………」
 七十四、五年も昔の記憶を取り戻し、脳が活性化するということもあるのかもしれない。
「逢ったってどうせわからないと思うわよ、皺々のおじいさんのどこに昔の面影が残っているというの、それに全くの人違いかもしれないのよ」
 菊子は困惑しながらも、母の気持ちに添ってみようと思いはじめていた。
 菊子は自分の心の中に「親の怨みをはらす」という感情が、全く芽ばえてこないのを不思議に思っていた。母も怨みをはらすために逢いに行くとは思っていないようだ。昭和園では家族や友人の訪問は自由になっている。面会ノートに名前と続柄を書けば、いつでも誰でも入れてくれる。
 昼食を済ませた後、菊子は母と一緒に兄の車に乗りこんだ。車内にはみやげの菓子と大きな紙袋が置いてある。
「カンタさんにと思って、寝巻きと下着と洋服を買ってきたのよ、これ菊ちゃんからそっと渡しといてよ」
 母は松山さんを岩屋幹太だと思いこんでいるようだ。幹太と同じ年の母の弟は、六年前に七十八歳で亡くなっている。母は幹太に弟を重ねて、なつかしく思っているのかもしれないと思った。
 昭和園には早目に行き、散歩に出る前にそれとなく松山さんを見てもらうことにする。
 昭和園に入っていった母は、職員に深々と頭を下げて、「娘がいつもお世話になっております」といった。「今日は母と兄が見学させていただきたいといっておりますので、よろしくお願いします」
「どうぞどうぞ、ゆっくり見学していってください。おかあ様、お元気でいいですね」
 エレベーターで二階に上り、ホールに出ると、食堂から帰ったばかりの老人たちが、ぼんやりした顔で座っていた。テレビの前で居眠りしている人もいる。
 こんにちは、というと一拍おくれてこんにちは、という。痴呆や麻痺の人が多い昭和園には、まともに会話できる人は数えるぐらいしかいない。母も兄もどうしたらいいのかわからないというふうに、黙って窓際に立っている。菊子は松山さんの部屋に入って声をかけた。
「松山さん、こんにちは、今日はお散歩の日だから来ましたよ、さあ、行きましょうか」
 少し笑顔になった松山さんの車椅子を押し、廊下に出た。奥の部屋からホールまで、菊子はゆっくり歩きながら、母のほうに近づいていった。
「松山さん、今日は園にお客様が来ていますよ、ご挨拶しましょうか、こんにちは」
 母は驚いた顔で「こんにちは」といった。
 片方の目は潰れ、片方の足がない異形の姿で現われた男が、母が思っていた岩屋幹太だとは、とても思えなかったに違いない。
 母は兄の腕につかまり、怯えた顔でじっと松山さんを見ている。幼かった頃の幹太の顔は、どこにも見当たらないのは当然である。
「松山さん、あそこの三角に尖った山、何っていうんでしたかね」
「ん? やま? 何やったかな、忘れたアハアハアハ……」
「松山さんはおかあさんに可愛がってもらったんですね、おかあさんってどんな人でしたか?」
「んーん、おこる」
 母はそっと近づいて車椅子の後ろの回り、松山さんの体をひとめぐりしてから、
「やっぱり岩屋の幹太さんに間違いないわ」といった。
「後ろの髪の毛が縮れているもの、子供の頃は縮れっ子の可愛いい子だったのに……」
 母は涙で声をつまらせ、こんなになって、可哀相にィ、といいながら泣いた。
 急に母は車椅子の前に跪いて、松山さんの右手をとった。
「幹太さん、おなつかしゅうございます、わたしを覚えているでしょうか」
 泣きながら見上げている母の顔を、ぼーっと見ていた松山さんは、ふいに顔をしかめ、口をへの字に歪めて、うー、うおーっと泣きだした。昔の幼なじみが、手を取り合って泣いているような場面になった。
 幹太が優子に昔の罪を詫びているとみえないでもないが、松山さんは痴呆特有の感情失禁で泣いているのである。もし松山さんが正気で母に逢えば、こんな展開にはならなかっただろう。
 母は昔の怨みを忘れ、優しい気持ちで岩屋幹太を許している。それは松山さんが呆けているからである。
 ふと、高齢者介護講座で聞いた講師の話を思い出した。
『人は生きる価値があるから生きているのです。呆けても周りの人の優しい気持ちを引き出す役割を果たします。これをボケボラといいます。呆けてボランティアをするという意味です』
 松山さんは母のためにボケボラをしてくれたのだ。そう思うと母を逢わせてよかったと思った。
 ひふみ会の友人たちも二階へ上がってきた。散歩に行く準備をしてエレベーターで一階へ降り、日除けの帽子を被って玄関前のホールに集まる。寮母長がでてきて、 「さあ、今からお散歩に行きますよー。みんなボランティアさんの側を離れないようにしてくださーい」といった。母はバッグを持ったまま、どうしようかという顔でうろうろしている。菊子は母を寮母長に紹介し、
「今日は母と兄が見学させていただきたいというので、一緒に参りました」といった。すると母は丁寧に腰を折って微笑みながらいった。
「娘がいつもお世話になって申し訳ございません。実は娘から話を聞いて、こちらにお世話になっている松山幹太さんが、わたしの遠い親戚だということがわかりましたの」
「えっ、松山さんが、そうだったんですか」
 寮母長は菊子の顔を見て、怪訝な顔をしている。菊子は頭を小刻みにふって目で合図した。
 親戚ということになれば、今後の処遇がややこしくなってくる。松山さんには実の娘がいるのだ。親戚だといいたい母の気持ちはわかるが、深いつきあいはしないほうがいいと思われた。
 寮母長は、入園者と年齢も変わらない母を、半呆けだと思ったかもしれなかった。
「今日はお母様も一緒に、お散歩にいらっしゃいませんか、暑いから帽子をどうぞ」
 菊子は園の帽子を借り、母の頭に載せてやった。
「さあ、行きましょう、行きましょう」
 老人たちは職員やボランティアに介助され、ぞろぞろ連なって園の坂道を下り、右に折れて田圃の中の農道を歩いていく。
 母は車椅子に寄り添うように歩き、時々松山さんの顔を見て微笑みかける。
 黄味を帯びた稲穂が風にさわさわと音をたてて揺れ、陽炎がゆらめいていた。先を歩いている老人たちの列は、陽炎のように揺れて、透明になっていくような気がした。
 罪が消え、怨みや憎しみが消え、最後は肉体が消えてすべてが終わる。
 三界のあわいを生きる老人たちの群は、ゆっくりとした足どりで歩いていった。


お わ り




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